「○○さん」
私はそう呼ばれるたびにまだ身じろぎしてしまうくらいにはこの病気を意識しているのだと思う。それは本当に微かな動きで、友達にはまだおそらく気づかれてはいないだろうと思うのだけれど。
私はたまに自分の名前を忘れてしまうことがある。ふと自分の鞄についた名札を見て、これは誰の鞄だろうと思ってしまうのだ。ミハル、ミハルと自分の名前を意識していなければ忘れてしまうくらいに、私は人から名前を呼ばれない。
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特定陳述記憶想起障害という病気について、長らく人々の心の中にあった誤解が解かれるのは20世紀も終わりごろになってからのことだった。それまでこのイドのカーテンとも呼ばれる症状に関しては、その神秘性、超常性に対して割合身近に存在することから、世間の超常現象に対する憧れであるとか宗教的なシンボリックな役目であるとかを一身に集める役割を果たしていた。それは「脳の90%は眠りについている」という都市伝説が余りに流布しすぎていたため、イドのカーテンを持つ患者は休眠している90%の脳細胞が活性化している超能力者ではないか、という目で見られたのだ。しかしその都市伝説はグリア細胞の働きが判明してない時期に生まれた、ただの噂話に過ぎないという。脳という未開の分野に対する根源的な恐れから、人々は私たちを超能力者だと思い込んでいたのかもしれない。
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私は生まれた時から罹っているこの病気と、上手く付き合ってきたと思う。
例えば、友達と話すときに相手にそうと意識させないようにして、さらに私が気にしていないように振舞う事で、自然と周りに解け込んで行った。これはある程度の成功を納めて、今でもクラスに友達は多いし、社交的な人間であると思われていると思う。たまにいつも騒がしい男子グループであるとか、少々意地悪な女子であるとかが私にちょっかいをかけてくるが、悪意が無いことは充分わかっているので、私も意識しないように対応するのだ。
「おーい、なーなーしさーん。名前のない名無しさーん」
ほら、今もクラスの澤田君が私に声をかけてきた。
「なあに、澤田君。世界史のノートなら貸さないわよ」
少しだけ微笑んで先手を打つように話しかけると、ほら。彼は「参ったなあ」と言って周りの男子たちに小突かれて、それで終わり。私のかすかな身じろぎなんて誰も気にしてはいないのだから。
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20世紀末にとある偉い学者さんが発表した学説は、それはそれは突拍子もないものであり、にわかには受け入れがたいものではあったけど、いい加減病気の正体に決着を着けたい世論だとか政府だとかに背中を押されてとりあえず定説として落ち着いた。
その偉い学者さんである芦田教授によれば、特定陳述記憶想起障害(世間には全く認知されていないが、一応発見者の名前をとってサーレフ症候群という名前がある)の患者は、脳の松果体に微妙な変化が見られるという。指先ほどの大きさのそれが、常人よりほんの一回り大きくなっているらしい。さらに研究を続けた芦田教授は、サーレフ患者の脳から微かな磁場が発生されており、それが周囲の人に影響を与えているという結論を出した。
しかし実際に発生していた磁場は相当に微弱なものだったため、時には100m離れた人間に対しても症状を発揮するこの病気に、磁場は本当に関係しているのかどうかが疑わしかった。学会でもこの問題について喧々諤々な議論が行われたらしい。
だが結局、磁場は実際に出ているのだし、その磁場の有無によって症状が出るという実験結果も得られた。ならば距離に云々言うよりもこれを原因としてもいいではないか、という至極いい加減な結論によってサーレフ症候群に対する世間の目は平静を取り戻すことになる。
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私が中学に上がるころ、サーレフ症候群に対するキャンペーンが行われた。テレビのCMで、街頭の政府広報で、そして学校の授業でこの病気に対する偏見を無くそうというキャンペーンが行われた。エイズの広報キャンペーンを思い出してほしい。あのキャンペーンによって危険性に対する認知は当然広まったが、同時に人々の話題に多くのぼることにもなった。それによる混乱は、続くエイズ患者への差別を防止するキャンペーンによってやっと収まったが、それと同じことがサーレフ症候群でも起きたのである。
新たに入った中学校で良好な友達関係を結んでいた私には、それほどの被害はなかった。しかし、たまに向けられる同情の視線や、からかうような揶揄に私の心は少しずつ傷ついていった。いつかクラスの友達が私に対して牙を剥くのではないか、という恐怖に私は怯えていた。いつまでこんな微妙な空気の中で暮らしていかなければならないのかという私の焦り。濁った水の中をいつまでも泳ぎ続けているような、どこまで泳げば息継ぎができるかわからないような、そんな焦り。
あの出来事はその焦りが周りに伝わっていたから起きたのかもしれない。それとも彼らの単なる気晴らしなのか。どちらでもいいのだろう、結局は私が失敗したのだ。
あの日、午前中の晴れ空が嘘のように曇ってしまった月曜日。夏の夕立が来るのだろうか、と少し足早に帰りの支度をして席を立ち、教室を出ようとしたところで声をかけられた。
「○○さん」
私なりに創り上げてきた処世術に従って、少し微笑みながら振り向き「なあに?」と答えて、さらに言葉をつなげ様としたその時。
ニヤニヤと笑った数人の男子のうち、私の名前を呼んだ一人が口を大きく歪めてこう言った。
「あんたの名前呼んだわけじゃないよ?」
それは彼らなりの冗談だったのだろう。ちょっとだけスパイスの効いたジョーク。
本当なら「やだなあ、やめてよそんなの」とでも言って軽く流せば良かったのだろうと思う。
けれど、流せなかった。
顔が強張ってしまったのだ。